敷波重次郎
敷波重次郎
1871年 - 1965年
1871年(明治4年)、金沢で生まれた。仙台医学専門学校では周樹人在学時に教授。1905年(明治38年)ごろ「重次郎」を「重治郎」と改めた。周樹人の学級で講じた課目は、組織学理論・解剖学理論(一年)。組織学理論・顕微鏡用法(二年一学期)。魯迅が書いた「藤野先生」に「解剖学是両個教授分任的(解剖学は二人の教授の分担であった)」とあるのは藤野教授と敷波教授である。解剖図を猫くことに巧みで、黒板をできるだけたくさん準備させ、両手にチョークを持って書いたという。周樹人が1年時の級長(今日でいう担任)。
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参考文献:
仙台における魯迅の記録を調べる会『仙台における魯迅の記録』平凡社,1978年
(「敷波重次郎教授」p125、「開校記念大運動会」p100)
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